1. なぜ「義眼説」が広まったのか?
長年、「ジョセフ・ピラティスは右目を失明し義眼を装着していた」という説が語られてきました。特に、幼少期の病弱な体、いじめの被害、ボクシングの怪我といったエピソードが混ざり合い、「視力障害=義眼」という認識が強まったのです。
しかしながら、これらの説には信頼できる一次資料が存在せず、いくつかの誤解が積み重なった都市伝説的側面があることが、近年の調査で明らかになってきました。

2. 本当は“斜視”だった──弟・フレッドの証言と徴兵カード
ジョセフ・ピラティスの弟であるフレッド・ピラティスの証言によれば、ジョセフは右目に視覚障害があったものの、失明や義眼ではなく「斜視」であったと語られています。

さらに信ぴょう性を高める資料として注目されているのが、1942年に作成されたアメリカの徴兵登録カードです。そこには、ジョセフ・ピラティスが「右目にギプスを着用していた」という記述が残っています。これは医療用ギプスではなく、**眼筋を矯正するための装具(眼球を一定方向に保持する)**と解釈されます。
このように、“義眼”ではなく“視線のズレを伴う斜視”という説が、より客観的かつ医学的に支持される状況となっています。
3. 斜視とは?──身体認識と運動に与える影響
斜視(Strabismus)は、両眼の視線が同じ方向に向かずズレが生じる状態であり、これによってさまざまな身体的・認知的な影響が現れることがあります。
たとえば、両眼で物を見る際に必要な立体視が困難になることで奥行き感覚が低下したり、視覚情報が脳内でうまく統合されず、空間の把握に誤差が生じることがあります。
また、視線のズレを無意識に補おうとする過程で、頭の位置が偏ったり、特定の姿勢に偏る代償的な動きが習慣化することもあります。
さらに、視覚情報への過敏さや逆に視覚刺激を避ける傾向が生まれることもあり、こうした反応は視覚と姿勢制御、そして運動制御が密接に関係していることを示唆しています。
4. ピラティスメソッドと視覚の関係
ジョセフ・ピラティスは、自身が経験したさまざまな身体的ハンディキャップ(喘息、リウマチ熱、骨格の脆弱さなど)を乗り越える過程で、「正しく動くこと」「身体をコントロールすること」の重要性を深く体感していました。
その結果、彼の提唱した**「Contrology(コントロロジー)」=身体と精神の統合による制御**という概念には、姿勢、重力下でのバランス、そして“感覚の教育”が内包されています。
仮に視覚にズレがあったとしても、それを補いながら空間把握能力や体幹制御を鍛え抜いたからこそ、彼のメソッドはより洗練され、あらゆる人に適応できるものになったと考えられます。
5. 今を生きる私たちへのメッセージ
ジョセフ・ピラティスの斜視の事実を知ることは、彼の偉業を“神話化”するためではなく、「ハンディキャップの中で何を磨くか」という視点を持つきっかけになります。
- 視力が弱くても、体を整えることはできる
- 感覚が不安定でも、身体との対話はできる
- 外的な制限を超えて、“内側のコントロール”を高めることができる
これこそがピラティスメソッドの本質であり、ジョセフ本人が体現していた哲学なのです。
ピラティススタジオBB
参考資料
Pilates Studio of New York 歴史研究資料
Fred Pilates の証言(Pilates Anytime インタビュー抜粋)
U.S. WWII Draft Registration Card(1942年)
Pilates Method Alliance(PMA)ヒストリーアーカイブ
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この記事の監修者:田沢 優(ピラティススタジオBB 代表)
東京大学大学院・身体科学研究室修了。身体運動学・神経筋制御を専門とし、科学的根拠に基づいたピラティスメソッドを構築。2013年にピラティス国際資格である、PMA®認定インストラクター資格を日本で4番目に取得。2015年「トレーナー・オブ・ザ・イヤー」受賞。PHIピラティスジャパン東京支部長を約5年間務め、都内を中心にパーソナルピラティススタジオを複数展開。オリンピック選手、プロ野球選手、Jリーガー、パラアスリート、頸髄損傷者などへの幅広い指導実績を持ち、インストラクター育成数は500名超。文英堂『運動療法としてのピラティスメソッド』にて3編を執筆。現在は「ピラティスをブームではなく文化にする」ため、後進育成と専門教育に尽力中。
なお、本件の記事のように、「ピラティス指導の原点」でもある「ピラティスの歴史」についても海外のワークショップや書籍・文献を通じて学び続けている。